「書くことは楽しいことだ」と教えるには時間が足りない話

どうもこんにちは、こてんです。

挨拶もほどほどに、自分のブログだからよ、もうなんの脈絡もなく話し始めるんだけどもな。

わたしは書くことの他にビーズ手芸が趣味なのだけれど、それぞれの発端というか、動機がとても似通っていることにある日突然気づいたのと、そこから「書くことは楽しいことだって教えるのは難しい」よなっていうところまで思考が連綿としたので、ここに備忘録代わりに記しておくわ。

前置きの動機としてはこんな感じ!

  • ビーズ手芸をし始める私
    「しっくりくるデザインの既製品なかったから自分で作るわ」
  • 小説を書き始める私
    「読みたいの惜しいのしかなかったし好き勝手させたいから自分で書くわ」

 

小説を書く上での「基礎」は国語の授業

思えばビーズ手芸と小説書くのって動機わりと似通ってるんだよな。

元はビーズ手芸もレシピとか本とか雑誌とかで基本を学んだり作品見たりして作っていって、そのうち自分で好きなビーズ買い漁って一部パーツだけ変えたりして地味すぎるアレンジを重ねていって、そのうち満足できなくなって自分勝手にいそいそ組み合わせながら楽しむんだけども、こう考えると小説もほぼほぼ同じようなもんだな不思議……

「ビーズの基礎部分」に当たるとこで、小説を書くのに「小説の書き方!」みたいな本は要るかと言われたら、まあ出版社商業デビューとかが目標なら必要なんだろうけども、そんなことよりもよっぽど自分の好きな小説を読んで、小学校から高校まで教わった国語現代文を馬鹿みたいに素直に思い出したほうがずっと自分の物書きの土台らしい土台になると思うよ。

そして、土台があってもびっくりするほど書けてねえじゃんワロタって昔自分の書いたやつを見返して発狂したくなってからがなんか色々と始まると思うので、書くって(精神的に)一度死んでからが楽しいぞ☆(小声)

小中高の国語ってものすごくざっくり言ったけど、どの学年のどの分野がというより、なんか全体を通して教わってくることってあるじゃないっすか。句読点の使い方とか、それによってどう読まれるかだとか、正しい送り仮名活用形だとか修飾語だとか。

「さくぶんのかきかた」とか「現代語文法」だけのシステム的にわかりやすいやつだけじゃなくて、教科書の小説文とか評論文とか、先生がやったら文章分解して四角で囲って線を引っ張って「これはどこと同じ意味だ」とか「これが二段落前のあれに繋がってる」とか言ってたじゃないっすか。

あれらぜんぶ、句読点の使い方とか、それによってどう読まれるかだとか、正しい送り仮名活用形だとか修飾語だとか、そういうやつなんだよな。

余談:媒体と表現によっては役立つ知識

ちょっと余談で、小説から離れての話なんだけども、大学で教職課程で国語科教育法の授業を受けていた時に、

  1. 「例えば、『言葉』は当て字であることを忘れないこと。本来は『ことば』。他にも当て字であるものをきちんと当て字と認識した上で使うこと」
  2. 「プリントや学級紙を作る際に、感嘆符(!)を多用しないこと。紙面が軽薄になる上、結局どこが重要かわからなくなる」
  3. 『やる』という単語は、表記でも口頭でも使わないよう心掛けること。多くの暴力的で俗な意味が含まれている」

の三つは今でもものすごく憶えている。どちらかというと、ブログ類で役立つ知識だと思う。ご参考までに。

尚、あくまで媒体における表現の話なので、何をどう使おうが結局のところは個人に委ねられるし、それこそ媒体によって表現方法は変わってくると思うので、わたしはころっころと色んな書き方をするのがめたくそ大好きです。

感嘆符を使いたいときには申し分なく使う!!!!これが!!!!わたすのTwitter表記由来の尊み表現のデフォルト!!!!!!そういうとこだぞ!!!!!

教えるって難しい。でも、書くって楽しい。

なお、「感嘆符を多用しちゃいけません」をぜんぶの表現方法に適用して、あまつさえそれを生徒に強要し始めたらそれこそ国語科教員としてアカンことしてると思うよ。教えるのは①感嘆符の意味と、②視覚的効果と、③TPOによってどうなるか。

「あなたの作文において、あなたがこの経験を大切に思っていることはわかる。けれど、たくさんびっくりマークを使うと、あくまでこれは文字だから、全部が同じに見えてしまってあなたのいちばんの『楽しかった!』が伝わらない。だから、これらのびっくりマークの代わりにあなたの『いちばん楽しいまでの道のり』をどういうふうに伝えようか、考えてみよう」と伝えられるかどうか

わたしが国語科教員の道を選ばなかった理由の一つは、そう、誤解の無いように伝えて、「書くのって楽しい!」と一人ひとりの生徒に思わせるまでに寄り添う時間が圧倒的に足りないと思ったから。

わたしはわたしの一存で、生徒たちの未来を奪いたくない。国語の教育って本当に難しいよな。教えるほうも、教わるほうも。

でも、書くって楽しいんだぜ。そして、楽しいは伝えたいと思うよ。わたしの行動基準なんて、いつだってそんなものだからな。

 

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