【質問回答】自分なりの小説の書き方について思い返してみた

質問③「小説の中身や書き方とか訊きたいです!」

もし実績&経験に羅列したところの投稿小説のことであれば、なんというか、自分で記載しておきながらではありますが、改めて尋ねられるとものすごく気恥ずかしいものです。

↓↓こてんの実績一覧はコチラ↓↓

こてん koten アイコン kotenmono
リアル!な基本データ 活動地域 :東京都(2019年1月4日~人生初の一人暮らしを謳歌中!) 出身地  :神奈川県鎌倉市 ...

投稿小説の思い出

当時投稿した小説は、とある海沿いの街に住む、男の子たちの話でした。
歯牙にもかけない拙い作品だったとは思いますが、いまでもずっと心の中に居る大切な作品でもあります。わたしにしては珍しくキャラクター先行の作品ということもあり、ストーリーを進行させるのに四苦八苦した思い出があります。

ちなみに「小説家になろう」というサイトで、この作品のリライト版をちまちま投稿していましたが、教育実習・卒業論文・就職活動そして就職……という中で、すっかりご無沙汰になってしまい、そっとアカウントを消しました。懐かしい思い出です。
その他、もっと大きな括りでの中身という意味であれば、わたしは自分の書きたいものしか書きません。困ったことに、わたしはとても我儘な性分に生まれついているようです。

プロットは書かないスタイル

小説の書き方については、それこそ世に溢れるたくさんの物語同様に多くの書き方があるとは思いますので、わたしなりの書き方を記していきますね。

小説を書くにあたって、プロットの有無が問われるかと思いますが、わたしの場合は基本的に、どの長さの小説であってもプロットをあまり書きたがりません
というより、プロットを構成している暇があったらとにかく本文を書きたい、書きたいシーンを形にしたいと猪の如く突っ走るタイプなので、どちらかといえばおそらくあまり優等生ではないタイプだと思います。

また、「書きたいシーンはあるが、始めることと終わらせることができない」という割と致命的なタイプでもあるので、単純にプロットを全部書き切ろうとするといつまで経っても本文に移行できないという非常に悲しい運命が待ち受けています。
だったら好きなシーンだけでも書きたい!もう始まりと終わりなんてどうでもいい!と書き始め、その過程で前後を肉付けしていくことが多いです。

以前、一部コミュニティ内で身内向けに「好きな表現~繰り返し多用」というPDFファイルをアップしましたが、結論から言えば好きなシーンを最優先して書きまくった副産物でもあります。
往々にして、書きたいシーンというのは盛り上がる場面であり、多くの小説を読む中で「これ恰好良い!書いてみたい!」となる場面が、ああいった繰り返し表現の最もインパクトのある部分であることが多かったような気がします。
繰り返しを活かすには、その前後で同じ表現または単語を繰り返す必要があり、結果的に前後を肉付けする際に役立った、といった流れです。

ちなみに、発表した『勝者』『四月一日』といった約5000字超程度の小説であれば、肉付けする範囲が狭いので、結果的にプロットは必要なく、脳内における構成のみで十分となっています。

ただ、書きながら他に書きたいシーンや表現が突発的に出てしまうこともあるので、物語の構成上、必要か不要かを判断するためにも、思いついた段階で取り敢えず後ろのほうに単語やフレーズだけでも書き留めておくようにしています。
同様に、脳内プロットも「なんだか迷子になりそうだな」と予感がした段階で、もうほんとうにざっくりと、後ろのほうに書き留めておくようにはしています。

余談ですが、『四月一日』で全カットしたシーンは、万葉集の講義を某遅刻魔の友人と受けている当時の想起シーンとなります。
実は、万葉集の講義は、友人が「絶対に面白いから一緒に受けよう」と誘ってくれたから履修したという裏話があります。結果的には、想定以上に難解な講義内容に頭を抱える羽目になりました。わたしの隣で、当の友人は時折気持ち良さそうに寝ていましたので、書き洩らした講義内容を写させてやるためにも、なにかと気の抜けない講義でした。懐かしい思い出です。

「書き終えて」満足してしまう性分

あとは、その、たいへんお恥ずかしい話なのですが、基本的にプロットを書いてしまうと「プロットを書き上げたことに満足してしまう」タイプだということが判明していますので、そういった観点からも積極的にはプロット単体で書かないようにしています。

どうにも、プロット・小説にかかわらず、物語を構成し「書き終えて」しまうと満足してしまう性分なものですから、前述の商業小説投稿時はこの点でもひどく苦心した思い出があります。
また、脳内でこねくり回しすぎて、脳内で完成しきってしまうと、結果的に「物語が出来上がった」と脳が判断して満足し、肝心の手を動かさずに完結してしまうので、アウトプットのタイミングは割とシビアです。
なので、「書きたいシーンは四の五の言わずに書き起こす」という点は、本当に大切だなあとしみじみ実感する次第です。

尚、この「終わらせられない病」はどうにも、自分が今まで読んできた小説や漫画が、どれも続き物である影響が多分に大きい気がしてきました。
わたしの創作活動に大きな影響を与えた三大作品である『名探偵コナン』、「パスワード」シリーズ、「古典部」シリーズは、未だにどれも完結していませんし、その他読み進めてきた作品も比較的長期に渡って続刊が出るタイプの作品が大半を占めています。

なので、ここ二、三年は一冊完結、短編集、アンソロジーといった分野にもわりと食いつくようにしています。これまでの習性上、「続きが読みたい!」という欲求はありますが、短くあっさりと終わる小気味良さがまた別格ですし、ストーリーの持っていき方が長期連載系とは違ってくるのでとても面白いです。

自分の物語を愛せるかどうか

小説に限った話ではないとは思いますが、執筆による表現活動は身構えるよりもひどく容易で、底知れない奥深さがあるが故に、おそろしく難解なものだと、わたしは理解しています。

だからこそ、それだけに得られる楽しさや書き上げた快感は、何物にも代え難い自分だけの宝物のようなものだと思っています。他者の作品をいくら読もうとも、他でもない自分の手で書き上げた、その瞬間のどうしようもなく熱に浮かされた激情は、書き手でなければ絶対に得られないもので。どうしようもなく、性懲りもなく、書き続けています。
まっさらだった紙面が、己の紡いだ物語で埋め尽くされてゆく、そうして生まれたものたちを、楽しがって、面白がってだれかが読んでくれるかもしれない。そんな淡く儚い希望を抱きながら。

それ以上に。
大事なのは、自分の物語を楽しがって、面白がって、他の誰よりも愛せるかどうか。それが、わたしが小説を紡ぐにあたって、もっとも大切にしていることです。

なにかのご参考になれば、幸いです。

関連記事

【質問回答】難しいけど面白い!万葉集について知っていることを書き出してみた

【質問回答】随筆とエッセイと散文の違いについて調べてみた